屯田兵一家、命の一体感 再会支えた人々に感謝 宇治田原町ゆかりの松村さん


《城南新報2017年11月12日付紙面より》
 
 125年前の明治期に「屯田兵」として宇治田原町から北海道に入植した一家の子孫が、移住後初めて、自分たちのルーツがある同町での法事を営んだ。先祖からの命のつながりや、離ればなれだった一族の再会を支えた町の人々の協力に感涙し、温かなひとときを過ごした。
 
 法事の道筋をつけたのは北海道札幌市の税理士、松村宏さん(75)と長男・有記さん(42)。
 宏さんの曽祖父・松村傳兵衛の一家8人は1892(明治25)年、宇治田原町郷之口から現在の北海道美唄市に移り住んだ。傳兵衛の次男が北方警備や北海道開拓に当たる屯田兵となり、その開墾従事のためだった。当地に渡って約20年後に、乳飲み子を含めて16人で撮影された松村家の集合写真が伝わっている。
 やがて、傳兵衛の子供たちは成長とともに道内各地に散らばり、第2次大戦も経て、いつしか親戚間でのつながりが途絶えていった。
 宏さんは我が子の自立の道が見えたり、母が喜寿を迎えた24年前から、先祖の系譜をたどってきた。当初「宇治」と伝え聞いていたため難航したものの、宇治田原町と判明。有記さんとルーツ探しをする中、同町郷之口の極楽寺に先祖の墓があり、地元でずっと守られてきたことが分かった。5年前に出会った「宇治田原の歴史を語る会」副代表の茨木輝樹さん(73)の協力もあり、町内の親戚縁者とのつながりができた。
 法事は4日に、菩提寺である同寺で営まれた。同町で没した先代の傳兵衛の150回忌と、家系でさかのぼった373年前からの祖先34人の法要。先祖がお世話になった寺で回忌法要をしたいと松村さん親子が呼び掛け、北海道や神奈川県、愛知県から子孫8人が参列、墓参した。
 続いて郷之口会館で、墓を護持してきた親戚も集まり、「綴喜からの屯田兵」をテーマに京田辺市内で今夏開催された戦争展で紹介された先祖の写真を眺めるなどした。
 有記さんは「たった5年でここまで来れたのは、まちの皆さんの協力のおかげ」と感謝の意を伝え、涙で声を詰まらせた。
 傳兵衛一家は北の大地で星空を仰ぎ見て、故郷を思っていた―と宏さん。「宇治田原を離れて125年、子孫として戻ることができ、先祖が通ってきた寺で法要ができて言葉で表せない思い。先祖から命をいただいて自分が生きていることに、命の一体感とありがたさを感じる」と、かみしめるように語った。
 

先祖の写真パネルを眺める宏さん(前列右から2人目)
先祖の写真パネルを眺める宏さん(前列右から2人目)

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