棟梁の魂「明治の写真」


《城南新報2018年1月7日付紙面より》
 
 本紙1月1日号68面の記事「棟梁の魂こもった学校」で紹介した写真の撮影年が判明しました。
 上の写真は現在の田原小学校、下の写真は現在の宇治田原小学校で行われた「上棟式」の様子だと思われるが、いつ撮られたのか記されておらず、町史にも、2001年に発行された町勢要覧の年表にも載っていなかったものです。
 この写真が眠っていたのは宇治田原町の荒木にお住まいだった故人宅。
 大工の匠として名をはせた稀代の棟梁「またはん」こと南又三郎さんが設計、施工、管理すべてを任された学校施設の棟上げを、高い料金を払って4×5インチの大判カメラで撮ってもらったであろう写真で、解像力は抜群。人々の表情までクッキリと分かる。
 そして、この年代を宇治田原いいとこ案内人の会・副代表の茨木輝樹さんに特定していただいた。
 写真㊤は1893(明治26)年…郷之口小学校を田原尋常小学校と改称した際の校舎移転新築工事。当時、体育館という概念はなく、写っているのは「講堂」部分の建物だと思われる。
 写真㊦は1909(明治42)年…宇治田原尋常高等小学校の「丸山校舎」建築工事。完成後に奥の旧校舎を取り壊したと推定される。
 田原尋常小学校の写真は今から125年も前に撮影されたもので、中央に映っているのは大宮神社の五百磐越後(いにわ・えちご)宮司とみられる。
 現在の五百磐顕一宮司の「ひいひい・おじいさん」にあたる方だ。
 

1893(明治26)年…郷之口小学校を田原尋常小学校と改称した際の校舎移転新築工事
1893(明治26)年…郷之口小学校を田原尋常小学校と改称した際の校舎移転新築工事

1909(明治42)年…宇治田原尋常高等小学校の「丸山校舎」建築工事