南山城初、縄文晩期の集落跡 13日に現地説明会 城陽・小樋尻遺跡


《城南新報2018年1月11日付紙面より》
 
 城陽市教委は10日、昨夏から市消防庁舎移転地3500平方㍍=富野東田部=で行ってきた「小樋尻遺跡」の発掘調査結果を発表。南山城地域で初めて縄文時代晩期(2300~3000年前)の集落跡を検出したほか、奈良時代(8世紀)まで約1400年にわたり、この地で人々の営みがあった、という貴重な成果を確認した。一般市民対象の現地説明会は13日(土)午後1時から3時まで行われる。
 
 小樋尻遺跡は、国道24号新池交差から南西側に広がり、1996(平成8)年に市教委が行った分布調査では、東西約1・1㌔、南北約320㍍を範囲とする。
 宇治市域から城陽市東部へ南北に伸びる「宇治丘陵」から派生した芝山丘陵と木津川により形成された沖積平野に接する平野部に位置し、現在はのどかな田園地帯が広がっている。
 その遺跡内に、新名神高速道路整備に伴う国道24号4車線化事業(寺田拡幅)で、移転を余儀なくされた市消防庁舎が新築されることになり、市教委は昨年7月から今月末までの期間で発掘調査を実施している。
 調査成果として、南山城地域で初めて縄文時代晩期(2300~3000年前)の集落跡を検出。竪穴建物2棟、埋甕1カ所、土抗1基を確認した。
 市内には、縄文後期(約4000年前)の築造された国史跡・森山遺跡があるが、その次の時代に早くも「この地で人々の営みがあったことを知る貴重な資料」と、市教委は成果を強調。
 近隣でも、宇治市の寺界道遺跡=五ケ庄=で、縄文晩期の埋甕、土抗は見つかっているが、当時の集落跡が見つかったのは初めてという。
 小樋尻遺跡の発掘現場では、そのほか古墳時代前期(3世紀)、同後期(6世紀)、飛鳥時代(7世紀)、奈良時代(8世紀)の集落跡を検出。これらから弥生時代や、あの卑弥呼の時代といわれる古墳中期を除いて、この地で約1400年にわたり、人々が生活していたことが分かった。
 今回、検出されたのは▽古墳前期=竪穴建物13棟、掘立柱建物1棟、溝1条▽古墳後期=竪穴建物7棟、溝2条▽飛鳥=竪穴建物2棟▽奈良=溝2条、柵列1条、柱穴群。すべて出土遺物から年代を特定したという。
 最も古い縄文晩期の竪穴建物の大きさは直径6・5㍍と同5㍍の円形。その中からは縄文土器片などが見つかった。
 ただ、奈良時代以降の集落跡は検出されず、遅くとも中世(13世紀)には「島畑」としての利用が始まり、現在まで耕作地としての利用が継続していたのではないかとみられる。
 これら、小樋尻遺跡の発掘成果を市民に披露する「現地説明会」は、13日(土)午後1時から3時まで、市保健センター南約160㍍の発掘現場で行われる。市教委は、JR城陽駅と近鉄寺田駅から「城陽さんさんバス」を利用し、「保健センター前」バス停で下車して来場を…と呼び掛けているが、スペースに限りはあるものの市消防庁舎来客専用駐車場に車を止めて現地へ行くこともできる。
 なお、新消防庁舎は2020年度中の供用開始を目指し、来年度から造成工事に入る。
 現地説明会に関する詳しい問い合わせは市教委文化・スポーツ推進課(平日のみ)℡56‐4049まで。
 

縄文晩期の集落跡が検出された「小樋尻遺跡」
縄文晩期の集落跡が検出された「小樋尻遺跡」