> 城南新報 ON WEB|2015年9月4日の記事より 縄文晩期の氾濫流路跡 自然木、土器片が大量に (城陽市寺田)

 

 



城南新報 2015年9月4日の記事より

縄文晩期の氾濫流路跡 自然木、土器片が大量に (城陽市寺田)

自然流木が折り重なるようにして見つかった「下水主遺跡」 城陽市寺田、水主にまたがる縄文時代から近世にかけての集落跡「下水主遺跡」を2011年度から継続的に調査している府埋蔵文化センターは3日、昨年度から2カ年かけて発掘した同遺跡北端=寺田今橋=から縄文晩期やそれ以前の国内では珍しい『氾濫流路』跡3条を検出した、と発表した。発掘現場からは縄文時代の土器片やクリの実などが大量に見つかり、流路内には折り重なるようにして氾濫流で堆積したとみられる流木も、砂質土壌の中から掘り出され、注目を集めている。

 新名神の城陽JCT・IC建設現場に位置する「下水主遺跡」は、木津川のすぐ東に位置する南北約1・2`、東西約540bの縄文時代から近世にかけての集落跡。これまでの調査で、弥生時代後期の竪穴住居跡、古墳時代の大規模な遺構、13世紀の中世から近世にかけての『島畑』などが検出されている。
 昨年度から始まった同遺跡北端に位置する約5000平方bでのトレンチでは、古代から幾度となく、この地域一帯で洪水が巻き起こしたことを裏付ける今から約3000年前の縄文時代晩期と、それ以前のものと思われる氾濫流路3条を検出した。
櫂状の木製品や縄文晩期の土器片が数多く出土縄文時代のものとみられるクリやトチの実 近年の集中豪雨により、土石流という言葉は聞き慣れるが、『氾濫流』という言葉は主たる辞書にも載っていないほど珍しく、地質学の専門家も「おそらく、縄文晩期の氾濫流路がこれだけはっきり見つかったのは初めてではないか」とコメントするほど、国内では珍しい発見となった。
 3条の氾濫流路は、年代が違うため重複しているが、縄文晩期の流路(長さ50b、幅9・8〜17・1b、深さ1・8b)からは当時の土器片、櫂(かい)状の木製品、クリやトチの実、洪水により堆積された自然流木が折り重なるように見つかった。そのすぐ後にできたとみられる同時期の氾濫流路からも縄文晩期の土器片が多数見つかり、これらを合わせると650から700点になるものとみられる。
 また、土器などが見つからなかったため、年代こそ分からないが、地層の重複関係から縄文晩期以前のものと思われる氾濫水路からも押し流されてきた自然木が出土。これら発掘成果から、府埋文センターは「縄文晩期の竪穴建物跡などは検出されなかったが、あまり摩耗していない土器が良好な状態で多数見つかったことから、(木津川に近い)遺跡の西側に集落が存在していた可能性もある」と、今回は森山遺跡=縄文時代=など当時は頻発する洪水を避け、丘陵地に集落跡が形成された説を覆すかもしれない見解を示した。
 なお、府埋文センターでは、6日(日)午前10時から、一般市民対象の現地説明会を開く。現場は近鉄寺田駅から西へ徒歩約20分、駐車場はない。

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